子供の頃は良かったとか、学生時代は楽しかったとか、それに引き換え今はつらいだとかつまらないだとか。
決まり文句は
「あの頃に戻りたいな~」
こんな話、アラサーくらいの年齢になるとよく聞くようになる。
厄介なのは楽しかった思い出なのに、振り返るとつらい気持ちになってしまうことなんだよね。
でもね、戻ってみたらそんなに良くないかもよ?
ひょっとしたら今の方が楽しいかもしれないよ?
もちろん、そう言えるのにはちゃんとした理由があるんだけどね。
ということで、いかに記憶が都合の良い機能だってことを紹介していくよ(*^O^*)
「あの頃は楽しかった」と思う理由
思い出は美化される。
こんなことを聞いたことってあるんじゃないのかな?
汗を流した部活動
友達と歩いた通学路
放課後のマック……
人それぞれ思い出は違えど、こんなことを思い出しては
「あの頃は楽しかった」
なんて思ってるんじゃない?
でもそれはもしかしたら、美化された思い出に酔いしれているだけなのかもしれないってことを頭においてほしい。
人間の記憶なんて曖昧なもの
いっこ質問。
3日前の晩御飯、なんだか覚えてる?
きっと多くの人は、覚えていないんじゃないか?
誕生日とか記念日とか、メモリアルな日では話は別だろうけど。
じゃあ駅までの道のりや誰かの名前は何で覚えていられるの?
それは繰り返し脳へ伝えて覚えさせているからだよね。
その日食べた晩御飯を何度も繰り返し確認するなんてこと、普段じゃなかなかしないよね。
いくら最近のことでも、たった一回しかない経験はあっという間に記憶の渦の中に埋もれていってしまう。これが脳のチカラなんだ。
人間の記憶力なんて、所詮そのくらいなんだよね。
さて人間の記憶の曖昧さはなんとなく伝わったかな?
それでは、思い出が美化される話と記憶の曖昧さはいったいどこで繋がるのだろうか。
ひきつづき解説していくよ(*^▽^*)
辛いことより楽しいことの方が好きだよね?
なぜ思い出は美化されるのか。
あの頃に戻りたいなんて思うのか。
それは思い出がごっそりすり替わっているワケではない。
無意識のうちに嫌な思い出にはフタをしてしまっているからなんだ。
結果、いい思い出しか思いださない。こうやって繰り返されたいい思い出は、自然と脳の取り出しやすいところに残されていく。
もともとはね、嫌な思い出も良い思い出も同じレベルで頭に残っているんだよ。
時間がたつと人間って大抵のことは忘れちやうから、頻繁に思いだす良い思い出しか思いだせなくなってしまうんだ。
今こうしている時間も何年か経てば、
天気も、日付も、曜日も、季節も、今日何があって何を思ったのかも、当たり前のように感じていることはほぼ全て、脳の取り出せないところにしまい込まれちゃうんだ。
こんな今だって何年か後には美化されてる
僕は学生の時にバスケ部に所属していた。
そこそこに練習は厳しくって、毎日の部活がしんどくて本当に行きたくなかったのを今でも覚えてるんだよね。
でも、いつも部活動を振り返るときに感じることは、
苦しいこともいい思い出だった、終わってみれば楽しかった、あのきつかった日々こそが良い思い出
本当か?
ダイジェストでは覚えてる。
でも、感情の高ぶりや心の流れまでは、ハッキリと思い出せないんだ。
思い出せないものを、いい思い出にしてしまっているところなんて、思い出を美化しているいい例になるわ。
そういや年が明けてから2か月経って、嫌なことも良いこともたくさんあった。
まだ記憶が新しい今は、良いことばかりでも嫌なことばかりでもない。そういった様にここ2か月を振り返ることができている。
でも2年、3年、もしくは10年くらい経ってから思いだしてしまった時には、
あの頃は良かった。
若かった。
なんて今の心境を知らないくせに、勝手に理解した気になって過去にすがっているんだろう。
見たことがある人も多いんじゃないかと。
このツイートこそ、過去にすがることの無意味さを教えてくれているね。
今が充実しているんだって気が付かないと、この先ずっと楽しかった思い出がつらいままになっちゃうね。
過去と今を比べる意味ってある?
記事を書いていて思ったことが一つ。
記憶は曖昧で、都合が良い。
あの頃の方が楽しかったとか、あの頃に比べて今はどうなんだとか、
偏った記憶の中の過去を、今と比較すること自体がとってもナンセンスだな。
というより、ハンデつきすぎだろ……
そりゃ過去が勝つわな。
ということで、クヨクヨしてたら楽しいもんも楽しくなくなるワケで、どうせなら未来の自分に思いっきり後悔させてやろうじゃん(*^▽^*)
なんて思っているよ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。