
就寝前のベッドの上で、身体が吸い込まれて夢まで連れていかれるような感覚。
目覚めたときの、気持ちと体が上手くかみ合う感覚。
私はこれを得るためには、どうも日常的にエネルギーを使っていかないといけないみたい。
私は、もうずいぶんも前から「エネルギー」は腐るものだと自分に言い聞かせている。
ガソリンのように一定の期間放置すれば腐っていって、いずれ大きな体を動かせなくなってしまうんだと。ベッドの上から脱せない生活は、きっとエネルギーを放置しすぎてしまったんだと。
「何をすっとんきょうなことを言ってるんだ」なんて言われて笑われるかもしれないが、私にはエネルギーが腐るという例えの方がしっくりくるからそう考えている。
腐ったエネルギーは体内に残る
厄介なことに、一度腐ってしまったエネルギーはなかなか体内から取り出せない。
そうして腐ったエネルギーはドロドロになって体内に残り続け、とんでもない悪さをしてくる。
以下、「腐ったエネルギー」のことを「ドロドロくん」と呼ぶことにする。

ドロドロくんは、身体を動かそうものなら「めんどくさい」などと邪魔をして、何か考えようもんなら「まぁいいや」なんてうやむやにする。結局のところテレビやゲームなど、何もせずに手に入れられる身近な楽を手に取らせ、一時の満足を得ることの手引きをしてくるんだ。
悪行はこれだけに留まらない。
ドロドロくんは感情にまでもへばりついて、前向きな気持ちに蓋をしてしまう。行き場を失った感情は、蓋をしていない後ろ向きな気持ちからドバドバとあふれ出て、もう収拾がつかなくなるんだ。
そして美しいものを美しいと言えなくなり、仕方がないことを責めるようになる。美味しいものを美味しいと感じにくくなり、気持ちいはずのベッドが気持ち悪くなる。
全部ドロドロくんのせいだ。

私にとっては病気を運んでくるウイルスともはや同列だ。
腐ったエネルギーVS新しいエネルギー
幸いにも、人間はエネルギーを新しく作ることができる。
日々、強烈な気だるさと克服しようとする気持ちが戦っているのは、エネルギー同士が戦っているからだ。
以下、「新しいエネルギー」を「ピカリン」と呼ぶことにする。

人は食べて寝ることさえすれば、ピカリンは作られていき途絶えることはそうそうない。
ただ、あまりにも蓄積されたドロドロくんが大きすぎて、ピカリンが打ち勝つことを困難にさせている。こうして勝てないでいると、ピカリンは飲み込まれていきゾンビのようにドロドロくんの一員となって悪さをしてしまうんだ。

ただし勝ち目がないわけでもない。
量は小さくてもエネルギーはエネルギー、ピカリンには自分を動かす力がある。いかにドロドロくんに邪魔をされないかだけなんだ。

ドロドロくんは何も体中の全てを網羅しているわけでは無い。
必ずピカリンはどこかで脳みそと繋がることができるんだ。
ドロドロくんが覆う層が薄くなった時、またはどこかへ移動したとき、ピカリンの力さえ残っていればその力は脳みそまで届く。そして脳みそと上手く噛み合うことで重たい自分を動かすことができる。

こんなにも非論理的なことを、1日の半分以上を過ごすベッドの上でひたすらに考えていた。
だいたい20歳くらいかな。
特にやることもなかったから、隣駅まで歩いてみたり友達を電話で呼び出したりして、どうにか身体を動かそうとしていた。少しでもうかうかしていると、またベッドの上に吸い寄せられていきそうだったから。
でも最初のうちだけで、いつの間にかエネルギーが入れ替わってしまったみたい。それからはベッドに吸い寄せられることも少なくなっていた。
それからはご飯も美味しいし、テレビも面白い。友達と遊んでいると笑いは絶えないし、夜は気が付かないうちに夢の中。
エネルギーの使用期限ってきっととんでもないくらいに早いんだろう。
理想なのは、翌日に持ち越さないでその日のうちに使い切ること。かといって、そんな人に見せられるほどしっかりした生活を送っているのかと言われると、そうとは言い切れないのだけど。